巻頭言

出会いやチャンスは、不意打ちです。
だから、これだ!と感じる直感と機会をつかむチカラがほしい。

私たちが創りだした「キョテンラボ」という「場」には、運命の出会いがあります。そして、何かを生み出し、チャンスをいつでも作り出せる空間があります。それは、垣根の高いものではなく、いつでも、誰でも、思いついたときに踏み込み、越えられるものであっていいはずです。

約2年前、自分の脳ミソにグサッと刻まれました仕事がありました。
そのサービス対象は、とてもデリケートな部類の人たちでしたので、相手の置かれた状況を最大限配慮することを自分に課しながら取り組んだのでした。

しかし、唐突な異動命令が下り、今後の事業展開・構想とその準備は、自らの手で行うことができなくなってしまいました。理不尽さを感じながらも、私にできるせめてものこと=後任者に思いを伝えるべくやりとりをしたのでした。

そして最後に、後任者に向かって正直な気持ちを打ち明けました。
「自分にもう少しいろいろな経験があったならば、もう少し効果的に事業展開できたのではないのかと思います。この仕事に出会えたことは、私にとって替えがたい経験であったのは間違いありません。けれど。だからこそ、悔しいし、心残りがあります。」

- 「若い頃の経験不足は、仕方のないことです。」

後任者は、自分より数年先輩でした。自分で感じていた上、こうも端的に言われるとは・・・。
悔しいけれど、しばらくして、納得することにしました。

自分にとって興味がある仕事との「出会い」があったのに、短期間で成果を出し切るという「チカラ」が足りずやりきった感を感じられずに半ばで手放すことになってしまった...。

「将来、来るだろうチャンスをそのときすぐにつかみたい!」
「これだ!と感じ、チカラを注ぎたいことができたとき、経験不足を足かせにはしたくない」
「・・・いつ来るかわからないそのときのために、今から鍛えてしまえ!」
「そのための練習場所を創り出してしまおう」

今考えると、こんな心の叫びを気付かせてくれたこの出来事が、実は、私のキョテンラボ構想の原体験と言うことができます。

私を含めた20代後半~30代前半の世代は、バブル崩壊後に、中学・高校・大学時代を過ごしています。いわゆる就職氷河期と言われた時代であり、就職する前から、世の中には閉塞感が充満していました。もっとも多感な時期をそんな中で過ごした私たちは、自然と「堅実に」生きる術を身につけていきました。無理しない、冒険しない、安定して安心した暮らしができることこそが、この暗い時代を乗り切る王道なのだと。

でも、バブル後十数年経った今も、世の中はやっぱり閉塞感が漂ったままです。このままでは、私たちの最も輝くはずの時期は、閉塞感に押しつぶされたまま、簡単に過ぎ去ってしまいます。
今感じている、私たちの中に生まれた漠然とした不安は、「堅実に」生きてきた私たちの世代がその絶妙のバランス感覚をもって感じとった黄色信号なのです。

だから、私たちは、閉塞感の枠内で小さく生きるためにその術を使うのではなく、むしろ自然と身につけてしまった「堅実さ」を武器に、知らぬ間に時代の波に翻弄され、萎縮してしまった自分を解き放ち、閉塞感を打ちのめすために使う時がきたのです。漠然とした不安は、長い間感じてきた窮屈さから逃れ、のびのびと生きたいという気持ちの裏返しなのかもしれません。

先を見越して行動するチカラ。間接体験をすぐに自己に応用できるチカラ。
そんな「堅実さ」の持つ強みは、就職率が下降を続けていく状況下で就職してきた私たちだからこそ活かすことができます。飛躍のための準備や助走は、用意周到さや安全確認の感覚に似ています。

では、助走を始めるために、何から手をつけたらいいのでしょう。

まずは、垣根の低いステップからはじめるのが自然です。ビジネススクールや起業塾ほど意を決することなく、異業種交流会のように一過性のものではなく、お稽古事のように趣味に走るのではない、気楽で居心地がいいのに刺激的な場所があったとしたら、何かワクワクすることが起きてしまうのではないでしょうか。そんな場所がいろんなところにあったなら、尚更ワクワクに出会う確率が増します。

多くの人が集まる場というものからは、私たちが得意とする間接体験をたくさん吸収することができます。また、それだけではなく、場に集まり、個を表現していくことにより、自己の直接の体験として間接体験に肉付けしていくことができます。

そして、それぞれお互いの知識や技術を補完しながら、応用していく場にしていくことができます。
一度低い垣根を越えてしまえば、最後には、知らぬ間に意外と高いジャンプができるようになってしまうのではないでしょうか。

私が生まれたちょうど200年前、ヨーロッパで活躍した啓蒙思想家、ルソーとヴォルテールはその生涯を終えました。彼ら啓蒙思想家が活躍したのは、大学ではなく、サロンと呼ばれるインテリジェンスが集まる「場」であったといいます。おそらく、同時代の才女、ロシア帝国女帝エカチェリーナ2世は、政治的に利用したと同時に、その一方で純粋にその場を楽しんでいたはずです。

そこに行けば、何かある。

私たちは、現代における新たなる「場」の創造を画策しています。200年前と異なるのは、誰でもその「場」に参加できるということです。

この場を通して、あなたの存在感を表現するステージへ駆け上がりましょう。自分自身に活力を与え、そのパワーを周囲に撒き散らすことは、きっと快感です。

ひとりひとりが生み出す人生のシナリオを具現化するために、キョテンラボは存在するのです。

背伸びを始めたすべての人に、このメッセージを送ります。

キョテンラボプロジェクト yukiko